都心で働く母の道

総合職で働く母の日記です。

【家族のこと】兄弟の学歴と収入・他を比較してみた 終

長々と書いてきましたが、最後です。


私には、勉強出来なくて、してこなくて、めちゃくちゃ後悔したことがあります。

それは、将来なりたいものが見つかった時に、“学力”が足りないことが足枷になったことがあったからです。


わたし、高校生の頃ぜんっぜん勉強しなかったんです。進学校なのに『勉強だせぇ』みたいになってしまって。部活が楽しくて。勉強おろそかにして。入学後速攻数学と化学で躓いて。高校一年生の段階で立文系クラスに舵を切って数学を勉強しませんでした。高校では必要最低限の勉強しかしませんでした。


そんなわけで、世の中に関心を持つわけでもなく、なにかに探究心があるわけでもなく、楽しくも浮かれた高校生活を送りました。


大学に入ってもそれは変わらず。4年間、学費というお金払って遊んでいたようなものでした。


そんな私ですが、大学3年生の時、将来やりたいことが見つかったんです。

とあることをきっかけに、国際協力関係の職に就きたいと思うようになりました。わかりやすくいうなら、JICAとか国連職員とか国境なき医師団とか…。

でもそれまで宙ぶらりんで遊び倒していたわたしには、そういった職業に挑むような基礎的な学力が備わっていませんでした。なにより努力したことがないので、努力の方法や勉強の方法がわかっていませんでした。一時期夢追い人のように、どうすればそのような職業に就けるのか調べたり努力したりしましたが、ベースとなる学力がなかったため、それを補うために大学院に進学することにしました。


結果的には院で学んだことは一生の財産になりましたが、勉強の基礎がないままでしたので、付け焼き刃的な知識しか得られなかったように思います。


会社に入ってからも、基礎学力が低いことで、資格時間の取得に人の何倍も時間がかかったり、文章の読み方が上手くなくて、しっかりと理解できてなかったり、至る所で学力のなさ(勉強してこなかったツケ)を痛感するようになりました。


私の人生の最大の後悔は、高校、大学時代に勉強せずに遊び呆けたことです。なにが困難な局面に直面した時に、なぜかこの基礎学力がないこと、勉強という努力をしてこなかったことが後ろめたくて仕方ありません。楽な方楽な方に逃げてきたので、自分には大切な何かが備わってないのだろうと、引け目を感じてしまうのです。


運良く大手企業に就職でき、これまでちゃんと努力してきた賢い人たちの中にいるから感じるコンプレックスかもしれません。


そのコンプレックスが、子どもにに向いてしまっているのかもしれません。


少し歪んだ感情かもしれませんが、子どもたちには勉強できる時にさせてあげたいと思っています。


自分の兄弟を振り返っても、学歴と収入は表裏一体であるし、よほど出来た子でない限り、子どもの頃は親の誘導が必要だと思っています。(うちの親は放任主義だった…)野放しにするのではなく、ある程度親がコントロールする必要はある…やりすぎは教育虐待ですが。


そんなわけで、長女の機嫌をとりつつ、今日も塾の宿題をやるわたしたち親子でした。


今のところ中学受験するからわかりませんが、やりたくなった時のために準備だけはしておこうと思います。


まとまらない文章となってしまいました…